» 落合雄彦(Takehiko OCHIAI)のブログ記事

今日の夕食は、インド人街の屋台で「ザンジバル・ミックス」と呼ばれる現地料理を食べました。肉ボールならぬ豆ボールが数個入ったスープです。やさしい味がしました。

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タンザニア南部の町ムツワラからダルエスサラームにもどりました。行きは9時間のバスの旅でしたが、帰りはAir Tanzaniaの国内線を利用しました。フライト時間は1時間15分程でした。

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龍谷大学社会科学研究所が2013年に国際学術交流覚書を締結したステラマリス・ムツワラ大学(STEMMUCO)を訪問し、ロンギーノ学長以下スタッフの方々と今後の研究交流の方向性について協議しました。STEMMUCOは、聖オーガスティン大学というタンザニアのカトリック系大学が国内にもつ9つの分校のひとつです。教育学部、社会科学学部、ビジネス学部、法学部の4学部があり、約2000名の学生が学んでいます。授業は朝7時45分から始まり、月曜日から土曜日まで行われています。

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ダルエスサラームからムツワラへの移動はバスでした。早朝6時にダレスを出発し、途中で2回休憩をして、午後3時前に南部の都市ムツワラに到着しました。9時間の長旅で少々疲れましたが、当初懸念していたよりも快適な旅でした。 IMG_0352IMG_0356

タンザニア最大の都市ダルエスサラーム(Dar es Salaam)に到着しました。ダルエスサラームは「平和の家」という意味です。

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ダルエスサラームに向かう途中、アラブ首長国連邦のドバイ国際空港(DXB)でトランジットをしました。

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今日は昼間に大阪で大西洋奴隷貿易史のシンポジウムに参加したのですが、今夜はこれからタンザニアに行きます。今夏はエボラがあってシエラレオネ行きは諦めましたが、年末にはシエラレオネに行ければなぁと思います。

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ここ10年間近く、夏にはほぼ毎年、ドラッグやフィスチュラ(出産に伴う病気)の調査のためにシエラレオネとリベリアを訪問してきたのですが、今夏はエボラ出血熱の感染拡大が終息しそうもないため両国の訪問を断念しました(アフリカのフィスチュラについてはこちら→ http://www.ryukokulaw.com/?p=1022)。

代わって今年の夏は、東アフリカのタンザニアに行きます。龍谷大学社会科学研究所が昨年に国際学術交流覚書を締結したステラマリス・ムツワラ大学などを訪問し、今後の研究交流について協議する予定です。

写真は、龍谷大学社会科学研究所との国際学術交流覚書(原本)をもつステラマリス・ムツワラ大学学長(2013年撮影〉。image

龍谷大学の教養教育の一翼を担う社会科学系科目部会では、日頃からいろいろとご迷惑をおかけしている教学部の若林さんを囲んで暑気祓いを行いました。

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7月19-21日、国立国際医療研究センターで開催された「国際保健医療協力夏期集中講座」を受講し、グローバルヘルスについて学びました。

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2015年4月に開設予定の農学部に関するイベントが以下のとおりに開催されます。


7月26日(土)

京阪天満橋駅の駅前広場や大川沿いにある「川の駅」はちけんやにて

○農学部「食の循環トークセッション」
○食の循環プロジェクト「マルシェ in 天満橋」

※4回目を迎えるトークセッションは「都市と農村をつなぎ、食の循環を取り戻す試み」をテーマに株式会社マイファーム 西辻一真代表取締役をお招きし、本学教員とトークセッションを行います。会場での観覧は既に締め切りましたが、Ustreamでライブ配信をいたします。是非ご覧下さい。
http://www.ustream.tv/user/ryukoku-talksession
・時間:14:00~15:30

※マルシェ in 天満橋ではJAこうかとのコラボで
・甲賀の「忍」ブランド野菜(トマト、タマネギ、ピーマン等)
・牧場スイーツ(濃厚ジェラート、贅沢チーズケーキ等)
などの滋賀県特産品の試食販売を行います。
・時間:11:00~17:00(予定)

 

龍谷大学では、大学と親和会(保護者会)との共催で、5月から7月にかけて全国29会場において、全国保護者懇談会(学修・就職懇談会等)を開催しました。写真は、7月13日に大阪会場で開催された保護者懇談会の様子です。image

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龍谷大学法学部には、5つの政治系ゼミナールがあります。橋口豊ゼミ(国際政治)、高橋進ゼミ(西洋政治)、西倉一喜ゼミ(中国・アジア政治)、中島琢磨ゼミ(日本外交)、渡辺博明ゼミ(スウェーデン政治、福祉国家)の5つのゼミナールです。これに、学部共通コースである国際関係コースの落合雄彦ゼミ(アフリカ研究)が加わり、6つのゼミ合同で11月22日(土)に政治系ゼミナール討論会を開催する予定です。そのための第1回準備ミーティングが開催されました。

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国際関係コース落合ゼミ(アフリカ研究)では、4回生の長田君の提案で、課外活動としてプロ野球観戦をしました。スタジアムは京セラドーム、対戦は楽天vsオリックスで、試合は序盤に楽天が先制したものの、後半にオリックスが逆転する展開となりました。参加者は、市田さん、福田さん、熊倉さん、植野君、長田君、そして落合の6名でした。

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6月25日、龍谷大学「シティズンシップ教育研究会」の第1回研究会が開催されました。シティズンシップ教育研究会は、日本における若者の「政治離れ」といった問題を眼前にして、大学においてどのようなシティズンシップ教育(有権者教育・市民教育)が行われるべきか、また行われうるのか、といったことを憲法学、政治学、国際関係論等の見地から探求していくことを目的した研究グループです。第1回研究会では、法学部の渡辺博明先生が「現代日本の大学におけるシティズンシップ教育の課題と射程」と題する口頭発表を行い、その後参加者全員でディスカッションをしました。

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6月2日(月)、第4期事務職員海外高等教育研修の第8回ミーティングが深草キャンパスで開催されました。

龍谷大学の事務職員海外研修事業が始まったのは1979年のことです。以来1995年までの間に計8回の海外研修が実施され、のべ68名の事務職員が海外に派遣されました。しかし、そうした「研修参加者大学指名・研修団方式」の海外研修は、1996年以降廃止され、代わって個人または数名のグループが研修テーマや訪問先を自由に選定する「自己応募・個人方式」の海外研修プログラムに一時移行していたものの、その後研修団方式が復活しました。このようにして2008年に再開された研修団方式の海外高等教育研修を第1期(通算でいえば第9回目)とすれば、今回は第4期(通算で第12回目)ということになります。

各部署から選ばれた精鋭の事務職員7名が、こうした事前ミーティングを重ねた上で、今年10~11月にオーストラリアなどを訪問し、現地の高等教育事情を視察する予定です(このブログでも今後、同研修団の様子を適宜お伝えしていきます)。

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6月1日(日)午後、社会科学研究所共同研究「アフリカ・リプロダクション研究会」の第1回研究会が深草キャンパスで開催されました。同研究会では、産科フィスチュラ、施設ケアの質的向上、立会い出産の可能性、伝統的出産介助者(TBA)と教会出産介助者(CBA)、ニャンムレルワと伝統的ではないTBA、既割礼・未婚(スルメレイ)という選択、FGM/Cをめぐる文脈的に多様な解釈のあり方とそれらの相克、そしてステッピング・ストーンズをめぐる権利アプローチなどなど、アフリカのジェンダーとリプロダクションを考える上で重要かつ新しく、そして刺激的な概念や見方が次々に提示されました。

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日本アフリカ学会創立50周年記念事業「アフリカ・トーク」

私が所属しています日本アフリカ学会では、創立50周年記念事業の一環として、革新的なアフリカ研究の試み等に関するインタビュー番組「アフリカ・トーク」をネット上で公開しています。どうぞご覧ください。

①村尾るみ子『想像するアフリカ農民』
ゲストは村尾るみこさん(東京外国語大学)。『創造するアフリカ農民:紛争国周辺農村を生きる生計戦略』(昭和堂)について語ります。紛争に追われて隣国に移住した人々が、厳しい環境の中でたくましく生き抜く創造力に迫ります。

②特別取材 長田雅子「マンデラ逝去と南ア社会」
昨年末、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領がなくなりました。南アだけでなく世界に大きな影響を与えたマンデラ。南アの民衆はその死をどのように受け止めているのか、南ア在住の長田さんにうかがいました。

長田さんが撮影したこちらの動画もどうぞ

③舩田クラーセンさやか「モザンビークと福島、そして私達」
東京外国語大学准教授の舩田クラーセンさやかさんに、人々の立場に立つアフリカ研究についてお話いただきます。舩田クラーセンさんは、調査地モザンビーク農民の訴えを受けて、日本のODAへの異議申立てを続けています。他方で福島原発の避難母子への支援活動にも関わっています。福島原発事故により、専門家の中立性・客観的研究という思い込みがあらためて問われるようになったと、舩田クラーセンさんは主張します。「だれの利益のために研究するか」を考えます。

国際関係コースの落合雄彦ゼミでは、キャンパスそばにあるゼミ生M君の家で「ゼミナール兼たこ焼きパーティ」をしました。次の授業があるので、準備するのも食べるのもドタバタでしたが、たこ焼きは結構おいしくできました。M君のおばあさまに大変お世話になりました。
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約1週間の現地調査を終え、今日は週末なのでケープタウン沖にあるロベン島を訪問しました。この島は、当初、オランダの野菜園が作られ、その後、イギリスが囚人を収容するために利用しました。19世紀には、ハンセン病者や精神障碍者を収容するための総合施療院が開設され、本土から多くの精神障碍者やハンセン病者がロベン島にやってくるようになりました。1960年に刑務所が置かれ、1964年にネルソン・マンデラが収監され、彼はこの島の刑務所で18年間を過ごしました。ハンセン病者の墓地、ハンセン病者のための教会、パン・アフリカ会議(PAC)を創設したソブクエが収容されていた建物、アフリカ民族会議(ANC)のマンデラの独房などを見学しました。












ステレンボッシュ大学はケープタウンから車で1時間ほどのワインランドにあります。ステレンボッシュ大学は南アフリカで2番目に古い大学だそうです。同大学を訪れ、社会福祉学科(Department of Social Work)の学科長であるProf. Sulina Greenにお会いしました。







ケープタウン郊外にあるウェスタンケープ大学(UWC)を訪問しました。ウェスタンケープ大学は、もともとはアパルトヘイト時代にカラード大学として創立された大学ですが、いまはいろいろな人種の学生が学んでいます。UWC Robben Island Museumという小さな展示室があり、ネルソン・マンデラを含む反アパルトヘイト運動の展示がされていました。









ケープタウン大学を訪問しました。ケープタウン大学は、テーブルマウンテンの麓の斜面に位置する、とても美しいキャンパスの大学です。同大学のジャガー図書館には、ケープの医学史などに関する貴重な史料があります。また、アフリカ研究センターという研究所があり、土地問題などに関する研究プロジェクトが展開されています(一番下の写真がアフリカ研究センター)。




現地調査の合間をぬって、ディストリクト・シックス博物館を訪問しました。ディストリクト・シックス(第6地区)は、アパルトヘイト時代の1960年代後半に白人専用地区に指定され、カラードなどが強制移住をさせられた地区です。1984年までに建物はほぼ破壊され、大部分が更地になりましたが、その後も開発がされませんでした。1994年の民主化後には地権者への返還が進んでいるらしいのですが、まだかなりが空き地になっています。この博物館からは、強制移住前の第6地区に住む人々の生活と活気が伝わってきます。

ステレンボッシュ大学の心理学の教授であるレズリー・シュワルツさんにお会いしました。

ケープタウンのグリーンポイントにあるケープ医学博物館を訪問しました。


ウェスタン・ケープ公文書館を訪問しました。ここには貴重な公文書が数多く保管されています。この公文書館で南アフリカのハンセン病対策史や精神医療史に関する本格的な調査を近いうちにしてみたいと考えています。

現地調査の合間をぬってユダヤ教のシナゴーグを訪れました。最初はイギリスとドイツから、やがてリトアニアなどの東欧から、ユダヤ人は南アフリカに来たそうです。

リプロダクション研究や社会福祉研究のインタビュー調査のために南アフリカのケープタウンに来ています。

ケープタウンのカフェにて。

リプロダクション研究や社会福祉研究のインタビュー調査のために南アフリカのケープタウンに来ています。

部屋から見えるケープタウンの風景です。夕陽は燃えるかのようでした。