» 落合雄彦(Takehiko OCHIAI)のブログ記事
ここ10年間近く、夏にはほぼ毎年、ドラッグやフィスチュラ(出産に伴う病気)の調査のためにシエラレオネとリベリアを訪問してきたのですが、今夏はエボラ出血熱の感染拡大が終息しそうもないため両国の訪問を断念しました(アフリカのフィスチュラについてはこちら→ http://www.ryukokulaw.com/?p=1022)。
代わって今年の夏は、東アフリカのタンザニアに行きます。龍谷大学社会科学研究所が昨年に国際学術交流覚書を締結したステラマリス・ムツワラ大学などを訪問し、今後の研究交流について協議する予定です。
2015年4月に開設予定の農学部に関するイベントが以下のとおりに開催されます。
7月26日(土)
京阪天満橋駅の駅前広場や大川沿いにある「川の駅」はちけんやにて
○農学部「食の循環トークセッション」
○食の循環プロジェクト「マルシェ in 天満橋」
※4回目を迎えるトークセッションは「都市と農村をつなぎ、食の循環を取り戻す試み」をテーマに株式会社マイファーム 西辻一真代表取締役をお招きし、本学教員とトークセッションを行います。会場での観覧は既に締め切りましたが、Ustreamでライブ配信をいたします。是非ご覧下さい。
http://www.ustream.tv/user/ryukoku-talksession
・時間:14:00~15:30
※マルシェ in 天満橋ではJAこうかとのコラボで
・甲賀の「忍」ブランド野菜(トマト、タマネギ、ピーマン等)
・牧場スイーツ(濃厚ジェラート、贅沢チーズケーキ等)
などの滋賀県特産品の試食販売を行います。
・時間:11:00~17:00(予定)
6月2日(月)、第4期事務職員海外高等教育研修の第8回ミーティングが深草キャンパスで開催されました。
龍谷大学の事務職員海外研修事業が始まったのは1979年のことです。以来1995年までの間に計8回の海外研修が実施され、のべ68名の事務職員が海外に派遣されました。しかし、そうした「研修参加者大学指名・研修団方式」の海外研修は、1996年以降廃止され、代わって個人または数名のグループが研修テーマや訪問先を自由に選定する「自己応募・個人方式」の海外研修プログラムに一時移行していたものの、その後研修団方式が復活しました。このようにして2008年に再開された研修団方式の海外高等教育研修を第1期(通算でいえば第9回目)とすれば、今回は第4期(通算で第12回目)ということになります。
各部署から選ばれた精鋭の事務職員7名が、こうした事前ミーティングを重ねた上で、今年10~11月にオーストラリアなどを訪問し、現地の高等教育事情を視察する予定です(このブログでも今後、同研修団の様子を適宜お伝えしていきます)。
日本アフリカ学会創立50周年記念事業「アフリカ・トーク」
私が所属しています日本アフリカ学会では、創立50周年記念事業の一環として、革新的なアフリカ研究の試み等に関するインタビュー番組「アフリカ・トーク」をネット上で公開しています。どうぞご覧ください。
①村尾るみ子『想像するアフリカ農民』
ゲストは村尾るみこさん(東京外国語大学)。『創造するアフリカ農民:紛争国周辺農村を生きる生計戦略』(昭和堂)について語ります。紛争に追われて隣国に移住した人々が、厳しい環境の中でたくましく生き抜く創造力に迫ります。②特別取材 長田雅子「マンデラ逝去と南ア社会」
昨年末、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領がなくなりました。南アだけでなく世界に大きな影響を与えたマンデラ。南アの民衆はその死をどのように受け止めているのか、南ア在住の長田さんにうかがいました。長田さんが撮影したこちらの動画もどうぞ
③舩田クラーセンさやか「モザンビークと福島、そして私達」
東京外国語大学准教授の舩田クラーセンさやかさんに、人々の立場に立つアフリカ研究についてお話いただきます。舩田クラーセンさんは、調査地モザンビーク農民の訴えを受けて、日本のODAへの異議申立てを続けています。他方で福島原発の避難母子への支援活動にも関わっています。福島原発事故により、専門家の中立性・客観的研究という思い込みがあらためて問われるようになったと、舩田クラーセンさんは主張します。「だれの利益のために研究するか」を考えます。
約1週間の現地調査を終え、今日は週末なのでケープタウン沖にあるロベン島を訪問しました。この島は、当初、オランダの野菜園が作られ、その後、イギリスが囚人を収容するために利用しました。19世紀には、ハンセン病者や精神障碍者を収容するための総合施療院が開設され、本土から多くの精神障碍者やハンセン病者がロベン島にやってくるようになりました。1960年に刑務所が置かれ、1964年にネルソン・マンデラが収監され、彼はこの島の刑務所で18年間を過ごしました。ハンセン病者の墓地、ハンセン病者のための教会、パン・アフリカ会議(PAC)を創設したソブクエが収容されていた建物、アフリカ民族会議(ANC)のマンデラの独房などを見学しました。